やらなければならないことをやる
やらなければならないことができない。
私は現状では気分に依存している。気分がよくなると少しずつできるといった感じ。
だから、スローペースでしかできない。
がむしゃらに自分の最大限の力でやろうとしているのではない。
休みながらもコンスタントに気分に左右されずやらなければいけないことをできるようになりたいのだ。
気分がいいときしか動けない、今なぜ私がそんな状態なのかということを自分なりに分析してみた。
1. やりたくないことはやらなくてもいい。という考え方の問題。
2. 他の人も関係した時、自分がどこまでやるか問題。
この2点で間違った考え方をもっているから、やらなければならないことができなくなっているのだと思う。
現状、やりたくない時はもう、動けなくなる。気分が沈むともうできない。
あれとこれとそしてこっちもやらないとと思いながらもできない。
そういうときは苦しいと思ってもはってでも動くほうがいい。
眠くても。疲れていても。
今日中に終わらせると気持ちがいいだろうと思うような食器洗いとか、明日の準備とか。
やったほうがいいな、と思いついたことは、とにかく一歩でも進む。一つからでもやる。
やりたくないことはやらなくてもいい、といった考え方をするひとはそれでいいけど、私の場合はそんな生き方をするほうが、苦しい。
やりたくないことをやらなくてもいいといっても、自分の中ではやらないとと思っている。だから、最終的にはやるしかないのだ。
やらなくても問題ないやりたくないことをやらなければならないと言っているのではない。
最低限の掃除とか、いらないものは捨てるとか、ご飯を作るとか、そういった必ずしないといけない最終的には自分にふりかかってくることを気分に左右されずにやれるようになりたいのだ。
その解決策、それは、苦しくてもやるという選択肢を増やす、そしてそれを選ぶのだ。
今まではその選択肢がなかった。そしてそれを選ばなかったから、気分が乗らないときにはできなかったのだ。
自分がどこまでやるか問題については、相手に嫌われようがどうなろうが、まず自分を守るために、自分ができる範囲と思えるところまでは自分がやる。
そして相手にやってほしいことははっきりとやってほしいと要求する。
甘えとはまた違う新たな選択肢を選ぶ覚悟をした自分には、的確な役割分担の判断ができているはずだと思う。
私利私欲ではなく、自分がこれ以上できないと思うことを相手にただ要求しているだけのことだから自信を持ってよい。
甘えについてだが、今までの気分が乗らないときしかできないことは甘えとはまた違う気がする。
なぜなら、どうしてもしたくなくて苦しくてどうしようもなくてという非常に過酷な状況に耐えてきたのだから。それは甘えなんかじゃない。
気分がのらなくてもはってでも「やることができる」、そんな選択肢が「ある」と理解した人は、これから私を含め、休みながら行動できるだろう。
一流のスポーツ選手などが本当に練習がいやだけれどやってきた、といった話を聞いたりするが、それが気分が乗らなくてもできるという証明になっている。
実際のところ、嫌でもやってメンタル的な病気になることはほぼないはずだ。それは、嫌でもやり始めると以外とできることが多いし、うつなどの病気は頑張りすぎが原因で今回やろうとしているのはそこまで頑張るというのではない。
やりたくないことをなんとかやり始めてもどうしても嫌な気分のままのときがある。
そのときはどうしようか。そういうときは、どうしてもイライラが募ってくる。
30分ぐらい寝るというのは効果的かもしれない。
音楽を聞いてみてもいいかもしれない。
また散歩をするのもいいかもしれない。目の前のことから一旦離れることも気分転換になるだろう。
ちょっとずつ、だけどコンスタントに、気分に左右されずに。行動していこう。
どんな場合も罪悪感を持たないように。仕事でも言えるだろうけれど、パフォーマンスが上げるため、自分の行動力を上げるために一息入れるのだから。人の目なんか気にしないでいこう。