思ったことの記録

日々思ったことをかいていきます。基本的に自分を勇気づけることが目的です。

不安は埋もれて日々の生活でひっそりと、でも確かに存在している。そしてやる気との関係。

不安って危険を避けることができるのでいいことのように思える。

 

だけど、失敗を恐れる気持ちなんだよね。

 

私は不安が強い。

 

例えばこんなふうに思う。

 

お弁当って傷んでお腹が痛くなったらどうしよう。きちんとやり方を分かった上で取り組もう。

 

だけどこう思っているうちにお弁当を作ろうというせっかく起こった気持ちが消えてうやむやになって(気持ちを自分で消した)、全くやらなかったりする。

 

自分のお弁当なら適当に作るでしょ。それでいい。家族のお弁当だから気になるのは優しい証拠だけど、お腹少々壊しても大丈夫ぐらいな気持ちで始めようよ。

 

他には…。

 

本を読もうか。きっちり理解するために最初から読もう。わからなければ何回も読もう。そうしているうちに、本はちゃんと理解しないとね、なんて気持ちからおっくうになって結局全く読まなかったりするんだよね。

 

そうじゃない。飛ばし読みでもよく読んで覚えていなくても、読まないよりかはましだんだよね。

 

ほんとは何でもいいんだよね。行動さえできれば。

 

不安っていうのは確かに失敗しないためには必要なものかもしれないけれど、それから逃れなければ自分の気持ちがなくなっていってしまうのだと思う。

 

やる気という気持ち。大切なそれがなくなってしまう。

 

不安の厄介なところは、日々の生活に埋もれてわからなくなっているところ。注意しないとわからないので、どんどんやる気を奪っていく。

 

不安になると私はよく準備にとりかかる。

 

日々に埋もれている不安を見つけるには、準備しはじめたときに気づくようにすることだ。準備はそこそこに、行動を起こすことが優先とする。準備だけにとらわれて疲弊し、行動できなくすることをなくそう。

 

行動を起こせないこと、それ自体が一番の損失だ。

 

だけど、それがいまいち理解できていない。

本当に大損失だということを理解するのにはどう考えればいいのだろう。

 

大損失が分かっていないから次のようなことが起こる。

 

スーパーの安売りを追いかけて、それだけで疲れて買い物に行けなくなり、結局お惣菜を買ってきてもらったりする。

 

ネットで調べるということができるようになってから、食品でも衣料品でも洗剤とかでも安いもの、良いとされる商品を調べてしまう。何でも調べられるから実際自分で行動して試してみることがなくなってきた。

 

時間が調べることだけに費やされている。そして疲れている。

 

やりたいという気持ちが調べて準備することに置き換わり、消えてしまっている。

 

気持ちが消えてしまうということは、自分が消えてしまうことにつながるのではと思う。

 

気が済むまで準備をしてきた自分にとって、準備をどこまでするセーブするのかは難しい。(傷まないお弁当にするにはとか、安売り追いかけとか)

 

どこまで適当にやったらいいのかも難しい。(本を適当に読むこと)

 

ただ、今まで想像してきた起こったら怖いこと、よりもできたら嬉しいことに想像をスイッチするようにすればいいのかもしれない。

 

本ならなんとなくでも読めたことが達成とすれば、それで嬉しいとか。

 

どんなお弁当であれ作れたら、それで嬉しいとか。

 

調べて疲れて外に買い物に出れなかった今日より、外にでられた今日は素晴らしい。

 

外に出れないのはなぜだろう。と私の場合ずっと疑問だった。

 

ネットで調べると「うつ」なのだとか書いてある。「人が怖いから」とかとも書いてある。

 

それを読んでも自分はこれではないと、いまいち納得できない。

 

それのどれでもなかったのだ。

 

ただ不安から調べることで疲れてしまい外に出られなかっただけだったんだ。

 

 

ふと立ち止まって考えたい。

 

 

それは調べ始めたときだ。それ行動に移すことを躊躇してやめようとしたときだ。

 

どんなにほころびだらけでも行動すること、それが生き生きとした意欲のある自分の実現につながること。ほころびなんてものは大したものじゃないってこと。

 

毎日の充実した生活(自分のやりたい気持ちを大切にする生活)>ほころびをなくすことを大切にする生活

 

調べたり、やろうと思ったことをやめようと思ったりした時に上の式を思い出そう。そうすれば少しは不安に支配されずにすむだろう。