思ったことの記録

日々思ったことをかいていきます。基本的に自分を勇気づけることが目的です。

今、ゆっくりしかできなくても

今、ゆっくりしかできなくても。

 

どんなふうでもやっていっていれば。

 

コツもつかめてくるし、要領よくなるしでできるようになると思う。

 

ゆっくりしかできないことに絶望して、何もしないと今の状態は変わらないまま。

 

ゆっくりでも、やっていこう。

 

どうやったらうまくできるようになるか時々考えながら。

生きるってどういうこと?

生きるってどういうこと?

 

それは人それぞれだと思うけど。

 

最近、自分にとっての生きるって何か分かった気がするので書きます。

 

結論。

 

生きるとは、無理せずひたすらやろうと思うことをやること。

 

です。私の中では。

 

そうやって生きていくうちに、充実感を得られて楽しんで生きられるのだと思います。

 

なんにもやる気出ないんだよね。

 

そんなときにやるべきことをやるっていわれてもね。

 

そう言いたくなるのはわかります。

 

私も鬱っぽい状態になるので、やるべきことができないことがしばしば。

 

だけど、そんな中でも、寝たら復活していたりして、ちょっと手をつけられたりして、最後までやってのけられたりする。

 

そんな感じでもいいから、生きるの意義は、無理せずやろうと思うことをやっていくことということを頭に置いておくといいと思うのです。

 

それを置いておくことで、ああ、今は力が出なくてできないけど、また元気になってきたらやろうと思うことをやってみよう、という気になれるはず。

 

やろうと思うことをやっていくのが人生ということが頭になければ、充実感も得られず、何もやってみようとせず、元気はどんどんなくなり、心が死んでしまうと思うのです。

 

また無理せずというのが大事です。

 

やろうと思うことをやっていくことが生きること、充実感を得られ楽しめる、と理解したとして、100%の力でやっていこうとすると、結果燃え尽きたりして、力を失ってしまいます。

 

適当にやっていきましょう。

 

優先順位も他人に迷惑がかからなくて、自分の中で完結するようなことであるのなら、どうだっていい、位の気持ちでやりましょう。

 

やれることからやりましょう。

 

完璧を目指さず、これでいいか、と妥協して進めていきましょう。

テレビをやめたい その2

テレビって、すごく情報をまとめてくれていていいです。

 

特にコロナ関係の情報とか、分かりやすく詳細に教えてくれます。

 

私が好きなドラマも楽しいです。

 

でも楽しいで終わってるし、それはいいとしても、私の場合見すぎなんだよな。

 

それで生活に影響しているっていうか。

 

だから、

 

見すぎを適当な量に変える。そこに焦点を当てたい。

 

たぶんね。

 

テレビって休憩代わりだと思ってるんだよ。

 

でも全然休憩になってなくて、むしろ疲れているんだよね。

 

休憩をしたかったらテレビをみるのと同じ時間散歩をすれば、力が回復するんだろうけど、それは本当に効果があるのかどうかわからない無駄な時間として自分の中で納得している。

 

今まで大きな誤解をして生きてきたんだよね。

 

テレビは特にドラマは3日に1時間ぐらいが適当だと思うんだよね。

 

ボーッとしたりする時間が結局休憩になるのだから、テレビを見るのと同じ時間ちょっと踏ん張って、散歩やらぼーっとしたりやらで生活を整えていきたい。

 

そう思う。

 

さらにテレビを見ようと思ったとき、他にはネガティブ思考になってるときなど、思ったことは紙に書いて、たとえ解決できなくてもすっきりしよう。

 

紙に書くことだって無駄と思っている自分がいるから、そこも訂正だ。

 

紙に書くのは無駄、じゃなくって紙に書く時間が自分をコントロールしてくれるだ。

 

無駄な時間というのは、うまく行動している限り、ほとんどなくなる。

 

今の自分からうまく行動する自分へ変わるために紙に書く。

 

ゆっくりでいいから前に進む=紙に書いて気持ちを知る

 

なのだと思う。

テレビをやめたい!

ずーっとテレビをやめたいと思ってきました。

 

テレビをやめれば時間ができて、充実した暮らしができると信じていたためです。

 

はて。

 

本当にそうなのか。

 

テレビを見ると

 

疲れる。

 

これに尽きます。

 

なので、

 

疲れて、力尽きたことにより、やりたかったこととか、やるべきことができない

 

のです。

 

確かにテレビは楽しい。

 

特に私はドラマが好きで、登場人物の行動とか、セリフとか、考え方とか見ては、「ほう」と納得して楽しんでいます。

 

同時にテレビを見ることは頭の中に情報がたまって、勉強したのと同じくらい疲れていると思うのです。

 

そして、やりたいことやるべきことができてないのです。

 

ここで娯楽であるテレビを止める必要はないのかもと思うのです。

 

ただ、やるべきことをやって一日の終わりのご褒美にすればいいとおもうのです。

 

それまでは我慢。

 

ついつい食事しているときとかリモコンに手が伸びます。

 

だけど我慢。我慢は苦ですが、それはずっと続きません。

 

我慢できると、苦がどこかへ消えていることが私の場合多いです。

 

なぜ苦が消えてしまうのだろう。

 

はっきりと説明はできません。ですが、おそらく人間はそういうふうにできている、のだと思います。

 

だから我慢して苦が消えたことを喜ぼうと思います。

 

次することがしんどいからテレビ見とこ、っていうことも毎日衝動的に頻繁に起こります。

 

そういうときは、何が何でも動きたくないのですが、次やろうとすることのとっかかりを適当にでいいのでやっておく、といいと思います。

 

それからだったら横になっても休んでもいいし、ぼんやりしてもいいと思います。

 

もしかしたらやる気になるかもしれない、というところに賭けましょう。

 

意外とできるかも、なのです。

 

さてではテレビを見なければ本当に充実した生活が送れるのか。

 

結構それも難易度高めなのです。

 

子供の頃から習慣として、自分のことや他人の世話までしてきたというひとにとっては

充実した生活を送ることはあまり難しくはないのかもしれません。

 

だけど、子供の頃、何も言わなくてもお皿を洗ってくれたり、料理を作ってくれたりしてきた人にとっては、

 

すべてのやる気コントロールをいまから自分で作り上げないといけません。

 

怠惰な生活を送ってみるのもいいかもしれません。

 

それでやはり自分は充実した生活を送りたいんだと思うのであれば、その気持ちを大切にして少しずつでも充実した生活を送れるよう前に進みましょう。

 

私はお弁当とかお惣菜に頼りましたが、やはり

 

洗濯もちゃんとしたいです。洗い物もちゃんとしたいです。料理もできるようになりたいです。

 

そう今は思います。

 

できているかどうかは別としてその気持ちを大切にして、自分のやる気を前述のとっかかりだけやる方法でコントロールしていけば、できないときがあってもok。

 

除々にやりましょう。

他人の評価

他人からの評価について

 

いままで

 

他人からの評価はほぼ100%。

 

これから

 

自分の評価がほぼ100%。

 

自分の評価を重んじる姿勢は、相手も自然と感じ取れるもので、

 

自信がなかったときよりも、はるかに、相手から通常の対応をしてもらえる。

 

相手の態度によって自分の評価を下げていては、

 

以後相手には、好きにしていいんだ的な対応がされてしまう。

 

自分の評価に従うということは、自分の心の健康にもいいし、

相手から大切に扱ってもらえるというおまけもある。

 

ただ、そのおまけについては、あまり期待せず、自分の評価を信じる、

それだけに尽きるのかもしれない。

 

※自分の評価を信じることは、自分の意見を通そうとすることではありません。

相手は相手の考え方があり、自分には自分の考え方がある、それを認めて、

自分は自分でよくやったと評価するということだと思っています。