人は本来やる気を持った生き物である だから、やる気を回復できる
人は本来やる気を持った生き物である。
私自身やる気を失っていたのですが、自分にはやる気があることが分かったのです。
ある方法を使って。
やることは2つあります。
この2つは1つのみなら効果はありません。2つをセットでやることです。
①脳を必要以上に疲労させない
②ぼんやりする時間を作る
これをやっていると自然とまた次やろうかという気持ちになるのです。
わかりやすい例を一つ。
私は疲れるとテレビやスマホをだらだらみていました。でも見ようと思った瞬間それをやめるのです。今まで当然のようにやっていたことが出来なくなるので一瞬もやっとしますが、そのもやっとを乗り越えて、「ぼんやり」するのです。
「ぼんやり」とはなにか。瞑想?
「ぼんやり」は瞑想ではありません。瞑想というのは思いつくことをできるだけ排除すると理解していますが、そうではなく、何にもしないで次々と頭に浮かんでくることを良しとしてそのまま思いをどんどん巡らすのです。
休憩=瞑想の状態でなければならない、と思っていたので、頭に浮かんできたことをどんどんそのままに巡らすなんてことはしてはいけない、もっと無になるんだ、なんで無になれないんだ、やっぱり休憩はできない、と自分を責めて以前私は元気をなくしていました。
「ぼんやり」を肯定できるようになってからは、自分を責めることがなくなりました。
「ぼんやり」を肯定できたのはこの本のおかげ。まだ全部読んでいませんが。
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「ぼんやり」でいいんだ、という発見は私にとって衝撃的でした。
「ぼんやり」していると「ぼんやり」する状況に飽きてきます。これが休憩が終わるタイミングです。このときには、さあ次やろうかと自然と思えるのです。
これが「人は本来やる気を持った生き物である」ということを示しているのでしょう。
なにかやっていて一段落したらぼんやり。テレビとかスマホとかは休憩ではなくしなければならないことに分類されるということです。
テレビやスマホは結構疲れます。ぼんやりはすっきりします。
やるべきことをやる→休憩としてテレビを見る→やるべきことをやる…を繰り返していると、それはまあ疲れます。一日が終わる前にぐったりしてしまい、やりたいことをやれずじまいです。
「ぼんやり」することで自分のペースを取り戻せて、落ち着いて何でもできるようになりました。
今やっていることが終わってから次やることを考えればいいです。あれもこれもと思い浮かべてしまうとそんなにできなーいとなるので、次やることは「ぼんやり」する時間に任せてしましょう。そのほうが落ち着いて物事に取り組めると思います。
※この「ぼんやり」に時間を割かないと、やるべきことをやっているときに「ぼんやり」する時間に考えることが割り込んできて、やるべきことに集中できない気がします。だから「ぼんやり」の時間を自分にとってあげよう。