脳のタイプ
自分に合わない生活をしているとそれはストレスだ。
例えば、だらしない人がきっちりしようとすると疲れる。
いや、きっちりしたほうがどっちかっていうといいでしょう、という常識的なものに縛られている人は多いのではないのか。
逆にきっちりしないほうが、きっちりできるでしょう、というのが私の説である。
私はというと、完全なだらだらタイプだ。
両親は人の目を気にするタイプできっちりしなさい的な教育をされてきた。
心の深ーい部分で、「きっちりしなければ」という凝り固まった「ならない論」が自分の中にある。
いわゆる、完璧主義へのいざない。
それは、経理のしごとをしていたときにも、強化された。
全部疑ってかからないといけないよ、といわれ、それは、仕事上、たしかにたしかにそうです、
心ががちがちに固まりながら、でも、みんな事務作業してるひとは一緒だよな、とも思う。
そうそう、記事の題名「脳のタイプ」について。
たぶんね、きっちりしている人はきっちりできるんだよ。
私はきっちりしていないからそれが苦痛でしょうがない。
苦痛ということもわからないまま生活してきた。キッチりすることがあたりまえ。だがら疑いもしない。
こうすることがふつうの生活。
今、結婚して自分で解決していかなければならなくなった中で、それではたちゆかなくなった。
いつだろう? 気づいたのだ。私はきっちりしていない。
私は思いついたらやるタイプだと。入念に準備してやるタイプじゃない。
ごちゃごちゃの思いつきのメモと一緒に生きていくのがきちんとしていない人の生き方だ。
適当にやればいいという漠然とした言葉では言い表せないのだ。
適当にやればいいはとても的を得ている。だけれど、抽象的すぎる。
きっちりやればいいということを教えられて、むりやり型に入ってきた人間にはなんのことやらなのだ。
きっちりやらないという方針で生きることがだいぶん楽になってきた。
だらだらと書きましたがあるタイプの人間はこのように生きればという提案です。
以下の通り。
・基本的には思いついたことをやっていくのでよい。やっているうちに他のことも思いつくが、メモに書こうと思えば書いてもいいし、面倒くさいと頭から排除すればいい。多分、前頭葉のワーキングメモリが少ないのだろう。いろんなことで頭がいっぱいになるとストレスなのだ。排除したことは、そのうち思い出す。忘れてしまっていた、ということもあるが、大事なことは意外とこなせていけてるものだ。心配しなくていい。メモは適切にが基本。絶対忘れるやろうな、これ。ということは書いておく。新しく作ったパスワードとか後でと思っていると忘れるからね。日常的に買い物しないといけないものとか、しばらくするとまた思い出す。とにかく自分の感覚で忘れそうと思ったことは書いておく。その感覚は間違ってない。
・ワクワクすることは想像してもいいが、必ずしもやらなくてもよい。悦にひたり、やろうか、と思ったときにやる。やらなければとなるとこれもまたストレス。
・疲れたときは、堂々巡りの頭と一緒に横になる。堂々めぐることから逃げてスマホやテレビに走ってもいいことはない。休めるまでは疲れたままだ。苦しみながらも横になることが疲れを最大限にとってくれる。
・自分が正しいと思う気持ちを大切に。感情を大切に。人からいわれたことを鵜呑みにしないで。
・おそらくきっちりしようとする人は想像力が豊かである。あらかじめ想像してそれから取り組む。その想像だけで疲れている。なぜなら、とりあえずできたらいいことではなくてきちっと最終段階まで終わらせようとするから。いや、かまんので。今、乗り切れれば。そっから芋づる式に進めることできたりが確率的に多いしね。
・忘れ物がないように気をつけすぎて疲れるようなら、もう、とりあえず忘れてもいいから、3分ぐらい忘れてないか集中して気にするぐらいにして、あとは、でかけてしまおう。